~この記事でわかること~
- 青森県黒石市とは?
- 菊竹清則氏とは?
- 菊竹建築の代表作は?
- 子供館とはどんな施設?
- ヒューマンスケールに沿った建築
皆さん、こんにちは!
日本列島最北端、青森県に行ってきました!
自然と住宅地が隣り合わせにある小さな町の広い敷地に佇む小さな建築が、地域の親子の交流を生む様子をレポートします。
目次
青森県黒石市とは?
青森県黒石市は十和田八幡平国立公園北西の玄関口に位置し、今回の「黒石ほるぷ子ども館」がある、温湯字派には、古い温泉街があります。
青森市街地からは車で50分程。黒石市の市街地からは外れた東に位置し、八甲田山へ続く山間の小さな町に、菊竹清則氏が手掛けた建築があります。
菊竹清則氏とは?
引用:美術手帳
皆さんは「菊竹清訓(きくたけきよのり)」という建築家をご存じでしょうか?戦後の高度経済成長期に多くの公共建築を手掛け、メタボリズム運動の第一人者として活躍した巨匠です。メタボリズムは生物学用語で新陳代謝を意味し、転じて都市や建築は新陳代謝し、進化、発達する有機体でなければならないとする建築思想です。菊竹氏の事務所出身者は、内井昭蔵氏、仙田満氏、伊東豊雄氏、長谷川逸子氏、富永譲氏、内藤廣氏、大江匡氏と、名だたる建築家揃いです。
ここで菊竹氏が提唱した理論で、「代謝建築論──か・かた・かたち」という有名な著書にもある、認識と実践のプロセスの三段階からなる階層のお話を簡単にご紹介します。
〈か〉:本質的段階であり、思考や原理、構想。〈かた〉:実体論的段階であり、理解や法則性、技術。〈かたち〉:現象的段階であり、感覚や形態。菊竹は認識のプロセスとして〈かたち〉→〈かた〉→〈か〉、実践のプロセスとして〈か〉→〈かた〉→〈かたち〉という三つの段階を持ち、さらにその三つが立体的ならせん状の三角構造をもつデザインの方法論を提示しました。
この考えを持ちながら平行して、メタボリズム(代謝)建築に繋がっていくのです。
菊竹建築の代表作とは?
さて、菊竹建築の代表作を挙げていきましょう(有名建築が多いので選定が難しかったです・・)
江戸東京博物館(1992年・東京都墨田区)、昭和館(1998年・東京都千代田区)、自邸であるスカイハウス(1958年・東京都文京区)、アクアポリス(1975年・島根県)、島根県立美術館(1968年・島根県)、東光園(1964年・島根県)。現存するものも多々ありますが、残念ながら解体されてしまった建物もあります。
ただ、近年は、保全活動も活発化しています。
「黒石ほるぷ子供館」ってどんな施設?
前置きが長くなりましたが、今回訪れたのは、1975年に建てられた、ほるぷ図書月販(当時)が黒石市に寄贈した子どものための図書施設です。温湯こけしに代表される『木のぬくもり』にこだわって建てられたという通り、木の質感を存分に感じられる造りになっていました。
内部は全ての壁面に配置されていたハイサイドライトから自然光があふれ、明るく、窓からは青々とした木々が目いっぱい茂り、規則的に並ぶ木柱と窓から見えるその葉で、さも一つの「木」が構成されているような空間でした。
ヒューマンスケールに沿った建築
建物に入るときにまず最初に驚いたのが、エントランスの軒天の低さ、入口開口上部の低さ。背が高くない人でも頭をくぐらないと入れないその設計は、この施設の主役を自ずと教えてくれているようでした。
そこから内部に入ると、低い視点で考えられたベンチ、本棚、建具、洗面、鏡…etc。
内部は靴を脱いで利用する図書館になっており、木の質感を感じる使い方がされていました。
RCの壁をコア、木造の架構を更新可能な部分と捉えると、メタボリズム的構成の建物ともいえるかもしれません。
子供がワクワクしそうな空間にはなっていましたが、遊び方を限定させるような押しつけがましさは感じられず、のびのびと自由な発想の元、個々の時間を過ごせる空間になっていました。
まとめ
黒石ほるぷ子ども館は山間の小さな町に菊竹作品がコンパクトに立地しています。町全体と住民との関係性を紡ぐように長い間使われてきたこの建築は、シンボリックであることによる活性化とは違い、日々の生活にそっと寄り添うようにあることで一定の心地よさを保ったまま、まちの価値になり続けているように感じられました。